島田枝里 話し方コンサルタントへの道 (2)

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前回は、
引っ込み思案だった子どものころから、
大学1年で言葉の面白さに気づくまでを
お話しました。

今回は、
さらに大きな転機が訪れた、
大学3年生
(関西では3回生といいます^^)
の頃のお話をしましょう。

毎日に張り合いが出て、
多少なりとも目的意識が出てくると、
それまで思いもしなかったことが
身近なものになったり、
思いがけないチャンスが
転がり込んだりするようです。

まさにそれを体感したお話です。

————————

今より就職活動の開始時期が遅かった当時。

大学3年生といえば、
学校生活だけでなく、
4年春からの就職活動を控え、
将来の進路を模索するのが
日常の一部になりつつあるときでした。

ある日のこと、
当時住んでいた大阪・吹田市の
広報誌に掲載された、
とても小さな記事が目に留まりました。

それは、ケーブルテレビの
キャスター募集の記事。

市の広報番組を担当するキャスターを
市民から募集するとのことでした。

当時はまだまだケーブルテレビが
一般的とは言えない時代でしたが、
ふと興味が湧き
応募してみることにしたのです。

実をいうと、その時私は、
正直、あまり深く考えていませんでした。

将来の就職活動の雰囲気が味わえるかも。
もしキャスターを
させていただくことになったら
この先で役立つかもしれない。

今となってはその責任感のなさに
恥ずかしくなってしまいますが(汗)、

誰かの役に立ちたいとか、
市民の顔になりたいとか、
そんなしっかりとした意思は持っておらず、
本当に何気なく受けに行ったものでした。

だからなのか、
面接でどんなやり取りをしたのかすら
全く覚えていないのですが
感触はよく、
なんと、運よく受かることができたのです!

言葉やアナウンスを
多少学んでいたとはいえ、
テレビの世界など
遠い向こう側の話だと思っていたのが、
急に現実のものとなり、
私は信じられない気持ちでいっぱいでした。

何かのはずみで
ヒョイッと高い壁を
乗り越えてしまったような、
不思議な感覚です。

 

それにしても、
決して立派な強い意志を持って
受験したわけではなかったのに、
どうして通ることができたのでしょうか。

それは、当時の私にとっては
コンプレックスだったことが
思いがけず評価されたからだったのです。

面接を担当された、
当時毎日放送(MBS)から出向中だった
制作部長の話によると、

私が受けに行くまでは、
キャスターやレポーターという仕事を
大いに勘違いした、
目立ちたがりや派手な人が
何人も何人も受けに来たというのです。

「市の広報番組のキャスターとは
そいうものじゃないだろう・・・」と
がっかりしていたのだそうです。

私が受験したのは、
そんなタイミングでのことだったのです。

その時の私の印象を、

「女子大生でも浮ついたところがなくて、
きちんとした育ちの子だと思った。
部屋に入ってきた瞬間、
この子や!って、即採用を決めたよ。」

と、後から教えていただきました。

当時はその言葉の意味が
よく分かりませんでしたが、
今ならこう解釈します。

私は当時、
「まじめだよね~」と言われるのが
誉め言葉だと思えず、

現実の私以上に
真面目にみられてしまうことが、
いやでいやでたまりませんでした。

見た目も地味で、
それがコンプレックスでもありました。

しかしその真面目さこそ、
バブルに浮かれ、
派手な女子学生も多かった時代に、
広報番組のキャスターらしい
誠実な人物として
映ったのだと思います。

普通のサラリーマン家庭であったとはいえ、
母がしつけに厳しい人だったので、
きっとどこかに
そんな育ちの影が
にじみ出ていたのかもしれません。

こうして思いがけず、
吹田ケーブルテレビジョンで
市の広報番組キャスターを務める
機会を得ることになり、

大学生活にはない
責任感と心地いい緊張感を
体験する機会に恵まれたのでした。

こうした現場を経験できたことで、
言葉を伝えるアナウンス技術にも
一層興味を持つようになっていきます。

さらに同じ年、
仲良し同級生のみんなに誘われて応募した、
今宮戎神社の福娘(50名)に
5841名の中から選出され、
(この辺りのお話は、また別の機会に。
これが、マスコミを本気で目指す
きっかけの一つになった出来事です。)

今度は逆に、
新聞、テレビなどの
取材を受ける立場も経験することに。

放送メディアについて
さらに関心を深めていったのでした。

そして、いよいよ大学4年生。
就職活動です。

それはもう、山あり谷あり、
苦難の連続が待っていました。
人生の中でも、
本当によく頑張りぬいた半年間だったと思っています。

・・・次回につづく・・・

大学3年生。吹田ケーブルテレビのキャスター時代。バブルの香りがどことなく。まだ笑顔に自信の無さが少しにじみ出ています。

 

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